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仄暗い牢のなかで、瞳を泳がせている雁の姿に、桜桃は絶句している。これでははなしをしようにも応えてくれない。まるで魂魄が抜け出ているかのようで、見ていられない。「暗示か。用意周到なことだ」
雁から目をそらした桜桃の隣で、小環がちっと舌打ちする。
「暗示?」
「ああ。カイムの民のなかで神々の加護を受けた部族に属する人間のなかには四季のようにちからを持つ人間がいる。暗示のちからは『天』より劣るが、『雨』や『雪』の人間でも使おうと思えば使えると言っていたからな」 「それも四季さんが? もしかして小環って四季さんのことまんざらでもないと思っていた……」 「やめてくれ。たしかにお前より賢そうで好感が持てたのは事実だが――あれが男だと気づけなかった俺は莫迦だ……」問いかけられた言葉を慌てて遮り、がっくりと肩を落とす小環に、溜め息をつく桜桃。
「賢そうって……さりげなくあたしを貶してる気がするのは気のせいだよね」
「気のせい。お前だってその小さなあたまで考えて行動してるだろ」巻き込まれてばかりの彼女が、カイムの地で自分に課せられた運命と向き合い、その結果、彼女は自分で天女として春を呼ぶことを決め、すべてが終わったら父皇のもとへ向かうと決めたのだから。
異母兄の柚葉が迎えに来ることばかり願っている少女だったら小環はとっとと春を呼ぶよう強要し、無理にでも父皇のもとへ連れだしていただろう。罪人のように。 だが、そこまで彼女に話してやるほど小環も優しくはない。「だからその小さいあたまって表現もどうかと思うんだけど……」
まあいいや、と桜桃は一息ついて、小環の真面目な表情を見据える。
「寒河江雁にかけられている暗示の種類はたぶん、カイムの民が持つ『ふたつ名』を使ったものだろう」
「――ふたつ名」その単語には聞き覚えがある。
「たしか、カイムの民が好んで使う呪まじないの一種、よね」
桜桃の母、セツが北海大陸で契と名乗り、帝都に嫁いでから雪と名を改めたように